今の状況には、Macで広告制作が始まった頃に少し似たものを感じる。当時も作り方が大きく変わり、使える人が一気に増えた。ただ、今回の変化はデザイン業界だけにとどまらない。文章、画像、動画、企画、事務、接客まで、ほとんどすべての仕事に広がっている。
インターネットの登場よりも大きな変化かもしれないし、これから変わるというより、すでにかなり変わってしまった。
AIを使うかどうかを話す段階は終わった
最近は、広告の画像も、SNSの投稿も、チラシのビジュアルも、完全にAIへ移行し始めている。大きな会社だけではなく、小さなお店や個人事業でも、AIで画像や文章を作ることが珍しくなくなった。
少し前までは、「AIで作った」というだけで話題になった。人物の画像が自然に作れることも、短時間で何案も出せることも新しかった。
しかし今は、AIを使うかどうかを話している段階ではない。多くの人が使うことを前提に、その中で何を作るかを考える段階に入っている。
きれいな広告が簡単に作れるようになった
AIで広告を作ると、ある程度きれいなものが簡単に出てくる。
明るい室内、清潔感のある人物、やわらかい光、読みやすい文字、親しみやすい色。大きく失敗することは少なく、以前なら撮影や素材探し、デザイン作業に時間がかかっていたものが、短時間で形になる。
予算の少ない小さなお店でも、見栄えのする広告を作りやすくなった。告知を出すまでの時間も短くなり、思いついた企画をすぐ試せるようになった。
これは大きな利点だと思う。
一方で、どこかで見た広告も増えている
便利になった一方で、どこかで見たような広告も急激に増えている。
きれいではあるけれど印象に残らない。感じはいいけれど、どこの店なのか分からない。業種や店名を入れ替えても、そのまま使えそうな広告が多い。
AIが下手だからそうなるのではない。むしろ、AIが平均点の高いものを作るのが上手だから、似たような広告が大量に並ぶようになる。
周りが雑な広告ばかりなら、きれいな広告は目立つ。しかし、周りが全部きれいになれば、きれいであることは普通になる。
同じような笑顔、同じようなベージュの背景、同じような観葉植物、同じような余白。一つひとつは悪くなくても、何枚も続けて見ると、全部同じに見えてくる。
一律にきれいだからこそ、外れたものが目立つ
広告が一律にきれいになってきたことで、逆に目立たせるチャンスも出てきた。
少し変わった構図、手描きの線、強い色、大きな文字、現実感のある写真、店主本人の言葉。以前なら野暮ったい、洗練されていないと避けられたものが、同じような広告の中では目に止まることがある。
AIが普及すると、完成度の平均は上がる。しかし、平均が上がれば上がるほど、平均から外れたものが目立つようになる。
ただし、何でも変にすればいいわけではない。目立つためだけの違和感ではなく、その店や商品に合った違いであることが必要になる。
これは広告だけの話ではない
この変化は、広告だけに起きているわけではない。
文章でも、AIが書いた読みやすく無難な文章が増えれば、実体験が入った文章や、少し癖のある言い回しが目立つ。
動画でも、きれいな映像や自然なナレーションが簡単に作れるようになれば、撮影者本人の声や、現場の雑音、偶然映り込んだものに価値が出る。
企画書や資料でも、分かりやすくまとめられたものが増えれば、実際に何を考え、どこで迷い、何を決めたのかという中身の差が見えやすくなる。
AIによって、見た目や文章の完成度は上がる。その分、何を考えたのか、どんな経験があるのかという部分が、以前より重要になる。
AIを使わないことが差別化ではない
だからといって、AIを使わない方がいいという話ではない。全部を手作業に戻す必要もない。
AIは、画像案を出したり、文章を整理したり、制作の下準備をしたりするには便利だし、今後はさらに使う場面が増えると思う。
問題は、AIが出したものをそのまま使うかどうかだ。
一案目の画像をそのまま使い、文章も色も構図もそのままにすると、悪くはないが、誰のものでもない広告になりやすい。そこに店の事情や現場の感覚を入れていくと、ようやくその店の広告になる。
この店なら、もう少し生活感があった方がいい。この業種なら、きれいすぎない方が信用される。素材写真より、店主本人を出した方が伝わる。文字は小さく上品にするより、大きくした方がいい。少し派手でも、地域ではその色の方が目に入る。
こうした判断は、単純な技術とは違う。
Macが普及したときにも起きたこと
Macが普及したときも、最後にはMacを使えること自体は特別ではなくなった。
IllustratorやPhotoshopを操作できる人が増え、きれいな印刷物を作れるだけでは差がつかなくなった。その後に問われたのは、何を大きくするか、何を削るか、誰に何を伝えるかという判断だった。
AIでも、同じことが起きると思う。
ただし、今度はデザインだけではない。文章を書く人も、動画を作る人も、企画を考える人も、事務をする人も、同じ変化の中にいる。
作る技術の一部が、ほぼ全員に配られた。
これまでは、作れる人と作れない人の差が大きかった。これからは、作れることを前提に、何を作るか、何を選ぶか、何を使わないかの差が大きくなる。
小さなお店にはチャンスもある
小さなお店にとっては、悪いことばかりではない。
画像のきれいさだけなら、大きな会社との差は以前より小さくなった。大きな会社も小さな店も、似たAIを使い、似た水準の画像を作れる。
その分、小さなお店がもともと持っているものが強くなる。
店主の顔、店の少し古い部分、独特な言い回し、地域の人にしか分からない話、実際の接客で大切にしていること。こうしたものは、AIだけでは作れない。
立派に見せるより、誰がやっているかを見せる。完璧な写真より、実際の店を見せる。しゃれたコピーより、普段お客さんに話している言葉を書く。
AIで作った土台に、店の現実を入れる。その方が広告として強くなる場面は、これから増えていくと思う。
差が出るのは、AIを使った後
少し前までは、AIを使えること自体が強みだった。今後は、AIで画像を作ることも、文章を書くことも、特別なことではなくなる。
差が出るのは、その後だ。
どんな指示を出したか。どの案を選んだか。何を削ったか。どこを直したか。どこに、その店らしさを残したか。
AI時代の広告で大切なのは、AIらしさを完全に消すことではない。AIが作った平均的なきれいさから、どう抜け出すかだと思う。
一律にきれいな広告が並び始めた今は、見方を変えれば、目立たせるチャンスでもある。
少し変でも、不格好でも、そこに理由があり、店の実態に合っていればいい。
作れるものが増えたからこそ、人が何を選んだかが、前よりはっきり見えるようになった。
内容は自分で、形はAIに任せる
この記事も、最初から順序立てて書いたわけではない。
思いついたことや、これまで仕事をしてきて感じたことを、まずはまとまりを気にせず書き出した。それをAIに渡し、小見出しをつけ、重複を減らし、読み物として流れがつながるように直している。
考えるところまでAIに任せるのではなく、材料は自分で出し、文章の形にする部分を手伝ってもらう。今のところ、私にはこの使い方が合っている。
AIがあるから何も考えなくてよくなったのではない。むしろ、何を考えたのか、何を伝えたいのかを、以前よりはっきりさせる必要が出てきた。
内容まで平均的になれば、どれだけ読みやすくても印象には残らない。
自分の経験や違和感をまず書き殴り、その後でAIに読める形へ直してもらう。広告も文章も、これからはそういう作り方が増えていくのだと思う。


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