はじめに──ご飯しか覚えてない日々からの脱却
「今日、何してたっけ?」
一日の終わりに思い出せるのは、ご飯を食べたことくらい。
60代になって時間が増えたはずなのに、気がつけばもう夕方。なんなら「え、もうお正月?」って思ってたら梅雨だった……そんな風に、時間ってあっという間に流れていきます。
このままだと、自分の毎日が“消えていく”ような感じがして。そこで私は、「ざっくり時間割」を始めました。決めごとではなく、ゆるい設計図。暮らしに“区切り”を戻す実験です。
小学生の時間割、意外と大人向き
思い出してみてください。小学生のとき、時間割を見て「次は図工だ、やったー」って思ったあの感じ。今思うと、あの“時間に区切りがある安心感”ってすごかったんです。
大人になると、時間の枠がなくなって、気づけばスマホ見て終わってたり。だからこそ、大人にこそ“時間割”がいる。しかも、きっちりじゃなくて、ざっくりでいいんです。
「午前中は外に出る」「午後は静かな作業」くらいのざっくりさで、自分のリズムが戻ってくる感覚があります。
小さい手帳で、ざっくり管理
私が使っているのは、小さめのスケジュール帳。日付の欄に5行くらいしか書けないような、シンプルなもの。
そこに「洗濯」「ちょっと書く」「ひとつ捨てる」など、1時間単位でやることをざっくり書いていきます。チェックを入れたら、次のミッションへ。ちゃんと休憩も入れるのがポイント。
万年筆で「洗濯」って書くだけでも、なぜか“今日やってる感”が出て楽しくなります。
独り言とメタ認知、意外と脳に効く
「よし、洗濯終わり!」「これから書くぞ〜」と、つぶやくのも習慣にしています。
これ、ただの独り言じゃなくて、ビジネス書に出てくる“メタ認知”というやつ。自分の行動を客観的にとらえることで、脳が整ってくるんです。
ビジネスの世界でも、あえて声に出してタスクを区切る方法はよく使われていて、私たちの暮らしにもじゅうぶん応用できるんですね。
1日1捨てで、手帳も心もスッキリ
私の手帳には、「1日ひとつ捨てる」タスクも入ってます。レシート1枚でも、ボールペンのキャップでも、なんでもいい。
「捨てた」って書いてあるだけで、「今日、なんもしてない……」って罪悪感がなくなるんです。むしろ「今日も進んだ」と思える。これ、けっこう精神衛生にいいです。
たまに「賞味期限2007年」の調味料が出てきたりして、自分に驚いたりもします。
「側(がわ)」という考え方
私は、自分の心以外の体や暮らしを「側(がわ)」と呼んでいます。皮膚もそのひとつ。カバンや靴の革を手入れするように、自分の側も丁寧に扱いたいと思っています。
だから、書く・動く・捨てる・しゃべる。これ全部、側をいたわるための行動なんです。
老後というより、「今後」。その日々をちゃんと動かしてあげることが、私なりのセルフケアだと思っています。
認知予防にもなる、ざっくり時間割の効能
ちなみにこの暮らし方、結果的に“脳トレ”にもなってるようです。難しいことはしていないけど、自然と脳にいいことをしていたみたいです。
- 手帳に書く:記憶の定着や予定を実行する「前頭葉」を使うので、実行機能のトレーニングになります。
- 時間割を作る:時間の流れを意識し、自分の1日を組み立てることで見通し力と時間感覚が保てます。
- 独り言や実況:声に出して行動を認識することで、言語機能とメタ認知(自分を客観視する力)を刺激します。
- 1日1捨て:「残す・捨てる」の判断を繰り返すことで、記憶や判断力の維持に役立ちます。
- 側(がわ)への意識:身体感覚を見つめ直し、セルフケアとしての意識が高まります。
暮らしの中で、自分を少しだけ俯瞰して整える。それが結果的に、脳の活性にもつながっているのかもしれません。
おわりに──「今日も、それなりに生きた」
予定を書いて、チェックして、ちょっと独り言。ひとつ捨てて、「今日も、それなりに生きた」と言って寝る。
暮らしを整えることって、自己肯定感とか、未来の安心とか、そういう立派な話の前に、「ちょっと今日を終わらせる」っていうことかもしれません。
気づけばまた月が変わってたけど、まぁ、それはそれでよし。明日の時間割、また考えよう。
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