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映画『彼らが本気で編むときは、』を観て

趣味・楽しみ

映画『彼らが本気で編むときは、』を観て

映画『彼らが本気で編むときは、』を観た。 編み物が物語にしっかりと絡んでいて、説得力があった。
登場人物の心の動きと、編んだ物が増えていく様子が並走していて、観終わったあとに糸を触りたくなった。

ただ一つだけ言いたいことがある。

──それ、かぎ針じゃダメだったの?

劇中で編んでいるのは棒針編み。

でも、あのサイズ感、出先での編みやすさ、
シチュエーション的にどう考えてもかぎ針の方が自然じゃない?
と終始そわそわしてしまった。

もちろん、棒針編みが悪いわけではない。
ただ、編んでいる手元の動きに自分の手がつい反応してしまい、
「あ、それ私ならかぎ針だな」と思ってしまうのだった。

趣味にどっぷりハマると、映画すらそんな目で見えてしまう。
60歳から始めるには、ちょうどいい深さかもしれない。


編み物という沼に住んで、だいぶ経ちます。

細い糸の魅力にハマる

初心者の頃、毛糸は太いものを選んでいた。
理由は単純、編み目が見やすい、すぐ編み上がる、達成感が早い。

でも今は、細い糸が好きだ。細かい作業、ゆっくりしか進まないやつ。
毎日少しずつ触っている。その時間が、たまらなく良い。

糸は安心の象徴

糸がある。それだけで、だいぶ安心する。最低でも同じロットで10巻。
針は全号数そろっていて筆箱に入れてある。
糸がきれると不安になる、いつでも編めるようにしておきたいのだ。
カセにはまだ手を出していないけど、冬には糸巻きを買いたいと考えている。

ぐるぐるしたい。

編んでほどいて、また編む日々

全部編んで、全部ほどく──そんな日も、日常だ。
模様編み(ガラあみ)は完璧にやる派なので、少しでもズレると直す。
何時間かけても直す。
完成品は、何度も撫でる。撫でる、愛でる、洗ってまた撫でる。

使う前に、飾る時間がある。
棚の上に乗せて、少し離れて見て、「いいね」と頷く。
結局、また触る。

一周回ってハンカチに戻る

一周まわって、今はハンカチを編んでいる。コットン100%結構吸水性がある。実用的。
最初は「とりあえず四角くなればいい」と思っていたものが、
今は「糸の目が整っていて、端がまっすぐで、手触りが良い」が大前提になっている。

ハンカチは初心者が最初に編むもの。でも、たぶん上級者もハンカチに戻る。
いや、“帰ってくる”と言った方が正確かもしれない。

なぜなら、ちょうどいいのだ。サイズ感、編み応え、実用性、そして気楽さ。
とにかく作品は増える。だからハンカチはいい、どんだけ増えてもいい!

黙って全部を受け止めてくれる。そういう存在だ。

編み図の美しさとレアさ

編み図がよくできていると、心から思う。
記号さえわかれば、言葉はいらない。何語でもいい。読み解ける。
途中で何をしているのかよくわからなくても、模様が浮かび上がってきたときのあの感動。
まるで、時間の中から答えが浮かんでくるようだ。

でも、編み図は案外ネットにない。
あると思うでしょ?ないのよ。
ピンタレストで画像を探しても、いざ編もうとすると載ってない。
しかも、海外では文章で編む文化が主流。
日本みたいな記号の編み図って、実はすごく貴重で、完成されてるのだと最近気づいた。

PDFを開いたら英文びっしり。「Row1: ch2, dc in next 5…」って、うん、無理。
しかもこのdc、国によって意味が違うとか言う。編めるかい。

データで買う編み図のありがたさ

だから、どうしてもってときは編み図を買う。データを買う。3時間探すより300円払う。
読める。編める。泣ける。これはもう、課金じゃない。信頼に対する対価である。

ヤーンと靴下と、人生と — 編み物は、瞑想です(悟りの入口)

ヤーンと呼ぶようになったらおしまい──笑

ソックスを編み出したらもうダメ。靴下は、引き返せないラインだ。

段数マーカーの色分けとか始めたら、もう確実に帰ってこられない。
チャートと目の位置が合ってないと眠れない。段染めの糸を段で合わせたい。
…つまり、それはもう人生そのもの。

編み物をしていると、なんだか“悟りの入口”にいるような気持ちになることがある。
目の配列に集中しているようでいて、思考はふわっと遠くに行っている。
編み目の反復は、波のように心を落ち着かせてくれる。

これはもう、マインドフルネスと言ってもいいんじゃないかと思う。
目の前の糸だけに集中して、気がついたら1時間経っていた
──そんな時間があるって、ありがたい。

聖地・一宮の記憶

糸といえば思い出す場所がある。

高校生の頃、一宮に行ったことがある。
機織りの作品をつくるために、大量の糸が必要だったのだ。
愛知県一宮市。糸の聖地とも言える場所で、尾州の毛織物の産地。
町には糸問屋があり、当時から圧倒された記憶がある。

糸といえば一宮、これでもかと無造作に盛られた毛糸の山を思い出す。

今では少なくなってきたが、一宮にはまだ数件、現存する糸問屋がある。
機会があれば、ぜひ訪れてみてほしい。お宝はそこにある。

映画の感想から始まったが、これはつまり
──60代から始める趣味としての編み物のすすめ、である(笑)

※アイキャッチには、イラストACのエトユニグラフィックさん(作者ページ)の素材を使用しています。

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