夏になると、近所の声がやけに響く。正直、いなくなればいいのに──なんて思うこともあります。
でも、毎年同じ声が風に乗って聞こえてくると、「ああ、またこの季節か」と思うようにもなってきた。
腹も立たないけど、好きでもない。
今回は、そんな“声だけのご近所さん”との距離感と、60代から磨かれる「スルー力」について、ありのままに書いてみました。
静かに怒っていたあの頃
ある時期、私は密かに怒っていました。
誰にもぶつけず、声にも出さず。
ただ心の中だけで、静かにざわざわしていたのです。
変えられないことに、無力な自分に、
そして、理由のない「音」にさえ、心がざわついていた頃がありました。
声だけの家族との夏
7月が近づくと、あの声たちが帰ってきます。
どこの誰かも知らない、顔も見たことのない家族。
でも、窓を少し開けて過ごせる季節になると、彼らの笑い声が、風に乗ってふわっと届いてくるのです。
マンションの窓から自然と入ってくるその音は、まるでラジオのよう。
聞こうとしなくても耳に入る日々の会話。
子どもの声、大人の返事、ときどきおじいちゃんの笑い声。
私はその“知らない家族”を、もう何年も「声だけ」で知っています。
集合住宅と戸建て、音の感覚の違い
私は長く集合住宅で暮らしてきました。
小さな音にも気を配ることが、日常のマナー。
「静かに暮らす」ことが、良識ある大人の証だと思っていた時期もあります。
一方、夫は戸建て育ち。
音に対して、もっとおおらかでした。
結婚して、初めて集合住宅で暮らし始めたとき、
テレビの音量や窓からの声の響きに戸惑いはなかったようです。
家の中で、自由に笑い、自由に話すこと。それが自然だったのでしょう。
私はそんな夫に、少しずつ伝えてきました。
「夜は音を少し下げようか」
「窓の近くで大声を出すと響くかもしれないね」
教えるたび、どこか切なさを感じながらも、それが“共に暮らす”ということでした。
にぎやかな声も、まあいいか
向こうの家族の声が聞こえてくるたび、思うのです。
きっと彼らも、戸建て育ちで、今はマンション暮らし。
育った「音の感覚」をそのまま持ち込んで、日々を笑い合っているのかもしれません。
以前の私なら、きっと眉をひそめていたでしょう。
でも今は、その声をスルーする「スルー力」を身につけました!
生活の知恵(笑)
昔の静けさ、今のにぎやかさ
昔は確かに、みんな静かに暮らしていました。
「ご近所迷惑になるから」って、テレビの音を下げたり、窓を閉めて話したり──それが当たり前でした。
子どもが騒いだらすぐに親が「静かにしなさい!」と叱って、周りに気を使う空気があったものです。
それが“よかった時代”だったのかどうかは、今となってはわかりません。
ただ、静かにしていた裏には「遠慮」や「緊張」もあったなぁ、と思い出します。
それに比べて、今のにぎやかさは、ある意味で「自由」なのかもしれません。
うるさいと感じることもあるけれど、誰かが気楽に過ごしている証拠
──そう思えば、ちょっと許せる気がします。
小さな庭のにぎやかさ
今では、小さな庭で夕方に家族で食事をする光景も珍しくありません。
たいていは、小さなお子さんのいる家庭。
笑い声やスプーンの音が風に混じって聞こえてくると、
ちょっとした“外食気分”をおすそわけされたような気持ちになります。
正直、静かにしてほしいなと思うこともありますが、
「まあ、いいか」と流せるようになった自分にも驚いています。
60代からの“スルー力”
60歳を過ぎて、ようやく気づきました。
誰かをすぐに正そうとせず、違いを「違い」として受け入れ、
そのままを温かく・・・見守らない「スルー」する──それが、年を重ねたからこそできること。
また、この季節がやってきました。
知らない家族の笑い声に耳をすませながら、私はそっと窓を閉めます。
またね!
※アイキャッチには、イラストACのエトユニグラフィックさん(作者ページ)の素材を使用しています。
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