同じような目にあった人だけ、読んでください。笑
感想文を書いたら「これはちょっと違うね」とクラスの前で言われたことがある人、いませんか?
「それ、わかる」と思ってくれる人がいたら、私は救われます。
映画の感想が書けない理由
最近、映画の感想がなかなか書けなくなっている。観ている最中は心が動いたはずなのに、いざ言葉にしようとすると止まってしまう。
「自分はどの目線で語るんだろう?」「褒めるのが正解?モヤっとしたって書いていいの?」そんなことを考えているうちに、手が止まってしまう。
この変な感覚、なんだろう。そう思っていたら、大昔の記憶がよみがえってきた。

あの日の感想文
中学生のとき、読書感想文で『城の崎にて』を読んだ。志賀直哉の作品で、蜂が死んでいく場面を見つめるシーンが印象的だった。
その死に対する静かな目線に引き込まれ、当時の私は、自分なりの死生観みたいなものを感想文に書いた。
中学2年、根暗の開花期である。
書いているときは夢中だった。「これが感想文だ」と思っていた。でも、先生は違った。

恥ずかしい記憶
若い女性の先生だった。
ある日、その先生が私の感想文を取り上げて、「これはちょっと違うね」とクラスの前で笑いながら言った
場の空気は軽く流れたけど、私は顔が熱くなった。
自分の言葉を、否定されたような気がして恥ずかしかった。なんとも言えない感情が心に残った。
あれ以来、「これって感想文になるのかな」「変に思われたらどうしよう」と思うようになって、書くことにブレーキがかかるようになった。気づけば、感想を書くこと自体から少しずつ離れていた。
たった一言で、人間って意外と簡単に沈黙する生き物なんです。
60歳まで続いた根深い怨みだったんだなと、今さら気づいた。どんだけ〜。

書くことは好きだったのに
でも、今の私はブログを書いている。
なぜか書くことが好きで、日々の思いや小さなできごとを言葉にしている。
書くのは好きだったはずなのに、感想だけが苦手。
あの記憶が、どこかでずっと引っかかっていたのかもしれない。
今なら見えること
先生も、きっとまだ若かったんだろう。
今思えば、お互いに余裕がなかった。
私も自信がなかったし、先生もどうリアクションを取るべきか迷っていたのかもしれない。
どちらも不器用だった。
今なら、少しやさしく見られる。

あのときの続きを書いている
そして、映画の感想が書けないと感じた今、またあのときの続きを書いているような気がしている。
あの日の感想文も、間違っていなかったと、少しだけ思えるようになった。
誰のためでもない、自分のために残す感想。
あのとき止まった言葉が、今また少しずつ動き出している。
そう、あの時の感情をこうして書いて、ようやく成仏させられた気がします。笑
ちなみにあの感想文、私の死生観について3ページくらい語っていた気がします。志賀直哉もびっくり。
※アイキャッチ素材著作者:freepik
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