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坂も階段もない町に暮らしたこと、ありますか?

健康と体

信じられないかもしれませんが、私の住んでいる半径5キロは、ほんとうに全く平らなんです。 大袈裟じゃなく。アップダウンといえば……広い道路を渡る時の地下階段?くらい。 歩道橋なんて、見たことがありません。笑

「山があるでしょう、裏に」なんて思ってますか? 確かに見えます。ぐるりと囲まれていて、山はあるんです。 でも、めちゃくちゃ遠いんですよ。車で近くても30分はかかる距離。 絶対、都会の人には想像つかないと思います。

とにかく、平野の“平さ”って、住んでみないとわからないんです。 そしてこの平らな暮らしに慣れすぎると、たった数分の都会のアップダウンにやられてしまう…… そんな虚弱体質になるってことも、体験して初めて知りました。笑

今日はそんな話です。

平野地方の街で起きていること

地方の町は、クルマ社会・平屋・段差ゼロのやさしい設計で、とても便利です。 でも、そんなフラットな環境に慣れすぎることで、私たちは知らず知らずのうちに “登る力”や“踏ん張る機会”を手放してしまっているかもしれません。

「田舎の人はよく歩く」と思われがちですが、実際にはクルマ移動が中心です。 玄関から車へ、スーパーへ、また車へ。あまり歩かなくても暮らせてしまう。

私が暮らす地域も、ほとんど坂道がありません。 建物の階段を使う機会も減り、自宅の階段が唯一の”登り場”になっています。

便利なはずの平坦な道。でもそこには、登る・踏ん張るといった日常の動作がありません。 じわじわと、体力を使う場面が減っていくのです。

都会は自然に運動できる仕組みがある

都市部に出ると、いやでも階段や坂に出会います。 駅の乗り換え、地下道、ビルの移動。意識せずとも、日常が運動になります。

一方、私の町では階段は”探して行くもの”。 「今日は意識して階段を登ろう」と思わないと、まったく登らない日もあるほどです。

「階段がきつくなった」「段差でつまずいた」という声を最近よく聞きます。 それは年齢だけでなく、体を使う機会そのものが減っているからではないでしょうか。


フラットな町に足りないもの

もちろん、バリアフリーは大切です。誰もが安心して暮らせる環境は必要。 でも、「すべてをフラットにすること」が「健康的に暮らせること」と同じとは限りません。

最近の住宅広告でも、「平屋」「段差ゼロ」が人気のキーワードになっています。 安全で快適。でも、その快適さが、私たちの体を少しずつ甘やかしているかもしれません。

便利さの中で、無理なく動ける工夫。そんな町づくりや暮らし方が、今こそ求められている気がします。


登ることを取り戻す

最近では、健康意識の高い人たちの間で、“階段争奪戦”のような光景も見かけます。 数少ない公共施設の階段を目指して、あえて立ち寄る。 「今日はいい階段あるかな?」なんて探している自分に、ちょっと笑ってしまうことも。

「便利の中の、ちょっとした不便」。そんな場所が、もっと増えてもいいのかもしれません。


年をとると、人が集まると体の話ばかりになると言われていますが、 50代までの私は「そんなことない」と思っていました。 でも、60歳になってから、それがすごく分かるようになってしまったんです。

病気ひとつしないタイプだったのに、今では「何が効く?」「どうすればいい?」「何を食べたら?」…… 身体の話のオンパレード。 どこかでみんな、ちゃんと気にしているものなんですね。

歩くことの大切さを実感しながら、こんなことも考えるようになりました。 子ども向けの遊び場はあっても、大人が気軽に体を動かせる場所って、意外と少ない。欲張りかもしれないけれど、アスレチックまではいかなくても、 もう少しだけ体を動かせるような“フラットじゃない遊び場”があるといいなあと思います。 ちょっと登ったり、踏ん張ったりするような場所。 そんな場所、大人にだってあっていいと思うのです。


「体で感じる空間、あります」

📍岐阜県「養老天命反転地」坂や段差、傾き──歩くだけで体が目覚めるような、不思議なアート空間です。 バリアフリーとは真逆の設計。でも、安全に“あえて歩きにくく”つくられた場所だからこそ、気づくことがたくさんありました。

「身体と空間の関係」って、こんなに深いんだなあと感じる体験でした。 興味があれば、検索してみてくださいね。

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